就職の神様
自信満々で企業に提出したエントリーシートを後日確認してみたら、記入日の項目を書き忘れてたwww
あーあオワタ\(^o^)/
まあ第一志望のとこで失敗する前に気づけて良かった。次からは気をつけよう。
全国の就活生の皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
今日は就職活動に関するお話。
戦国時代末期(安土桃山時代)の九州に立花宗茂という武将がいた。
彼は生涯無敗のとてつもない化け物で、豊臣秀吉から「鎮西随一(九州最強)」と評されたほどの猛将だった。

『信長の野望 天下創世』の宗茂

『太閤立志伝5』の宗茂
宗茂は薩摩の島津氏との血みどろの抗争や、豊臣秀吉による九州平定や朝鮮出兵などで数々の武功を挙げた。
それから秀吉の死後に勃発する、日本が東西に分かれて戦った関ヶ原の戦いで、彼の人生は大きな岐路を迎えることになる。
宗茂は、彼を高く評価する東軍の徳川家康から熱烈な勧誘を受けたものの、故・秀吉に対する義理を果たすために西軍の石田三成側に与した。
結果は皆さんご存知のとおり西軍の敗北だった。
このくらいの規模の戦いとなると、いくら個人の力が強くても状況をひっくり返すことはできないのが少し寂しいもんだ。
その後の家康による戦後処理で、彼は柳川(福岡県)の領地を全て没収されてニートになってしまった。
この関ヶ原の戦いは戦国乱世に終止符を打つものであり、戦いに負けて領地や職を失った武士たちは再就職したくても、もう戦が無くなってしまった。
現代風に言うなら企業の大量倒産や、経営悪化によるリストラで大量の失業者が発生し、さらに世の中の需要が極端に落ち込んでしまったので再雇用の口が無いという状態である。
宗茂は「もう給料払えないから立花家解散!」と家臣たちに自分のもとから去ってそれぞれの道を歩むよう宣言した。
しかし宗茂を慕っていた家臣たちは彼のそばを離れなかった。すごいね、この会社。
かくして宗茂と愉快な仲間たちは就職先を求めて諸国放浪の旅に出た。そして乞食同然の3年間の流浪の末、彼を高く評価していた家康に拾われることになり、その後も幸運が重なりとんとん拍子に出世して元の柳川10万石の大大名に返り咲いてしまった。うらやましすぎワロタ
家康が宗茂を拾ってやったのにはこんな説も伝わっている。
領地を持たない武装したホームレス軍団が徒党を組んで各地をさまようことを、治安的な面から無視できなかったのだという。
放浪中も各地の大名が援助してくれたから別に貧乏してないって説もあるし、やっぱこの人チートだよ。
宗茂を祀っている福岡県柳川市の三柱神社では、彼にあやかった就活お守りを販売しているらしい。
ああ、無神論者の俺でもこれは欲しい。
<参考資料>
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
九州三国志 ~九州の戦国時代~
<関連記事>
【人物伝】毛利勝永【安土桃山時代~江戸初期の武将】

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
あーあオワタ\(^o^)/
まあ第一志望のとこで失敗する前に気づけて良かった。次からは気をつけよう。
全国の就活生の皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
今日は就職活動に関するお話。
戦国時代末期(安土桃山時代)の九州に立花宗茂という武将がいた。
彼は生涯無敗のとてつもない化け物で、豊臣秀吉から「鎮西随一(九州最強)」と評されたほどの猛将だった。

『信長の野望 天下創世』の宗茂

『太閤立志伝5』の宗茂
宗茂は薩摩の島津氏との血みどろの抗争や、豊臣秀吉による九州平定や朝鮮出兵などで数々の武功を挙げた。
それから秀吉の死後に勃発する、日本が東西に分かれて戦った関ヶ原の戦いで、彼の人生は大きな岐路を迎えることになる。
宗茂は、彼を高く評価する東軍の徳川家康から熱烈な勧誘を受けたものの、故・秀吉に対する義理を果たすために西軍の石田三成側に与した。
結果は皆さんご存知のとおり西軍の敗北だった。
このくらいの規模の戦いとなると、いくら個人の力が強くても状況をひっくり返すことはできないのが少し寂しいもんだ。
その後の家康による戦後処理で、彼は柳川(福岡県)の領地を全て没収されてニートになってしまった。
この関ヶ原の戦いは戦国乱世に終止符を打つものであり、戦いに負けて領地や職を失った武士たちは再就職したくても、もう戦が無くなってしまった。
現代風に言うなら企業の大量倒産や、経営悪化によるリストラで大量の失業者が発生し、さらに世の中の需要が極端に落ち込んでしまったので再雇用の口が無いという状態である。
宗茂は「もう給料払えないから立花家解散!」と家臣たちに自分のもとから去ってそれぞれの道を歩むよう宣言した。
しかし宗茂を慕っていた家臣たちは彼のそばを離れなかった。すごいね、この会社。
かくして宗茂と愉快な仲間たちは就職先を求めて諸国放浪の旅に出た。そして乞食同然の3年間の流浪の末、彼を高く評価していた家康に拾われることになり、その後も幸運が重なりとんとん拍子に出世して元の柳川10万石の大大名に返り咲いてしまった。うらやましすぎワロタ
家康が宗茂を拾ってやったのにはこんな説も伝わっている。
領地を持たない武装したホームレス軍団が徒党を組んで各地をさまようことを、治安的な面から無視できなかったのだという。
放浪中も各地の大名が援助してくれたから別に貧乏してないって説もあるし、やっぱこの人チートだよ。
宗茂を祀っている福岡県柳川市の三柱神社では、彼にあやかった就活お守りを販売しているらしい。
ああ、無神論者の俺でもこれは欲しい。
<参考資料>
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
九州三国志 ~九州の戦国時代~
<関連記事>
【人物伝】毛利勝永【安土桃山時代~江戸初期の武将】
スポンサーサイト

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村