旧約聖書① ソドムの滅亡
今回は、神の怒りに触れてしまったために滅ぼされた街の話。
旧約聖書に登場するソドムとゴモラという2つの都市には、神を冒涜するような悪事がはびこっていたようだ。その悪事とはどんなものだったのか聖書には詳しく書かれていないが、おそらく性的な堕落であると推測されている。このソドムという街は、同性愛や獣姦を意味するソドミーという言葉の語源であるらしい。
話の発端はアブラハムという羊飼いが、唯一神ヤハウェのお告げを受けたことから始まる。
このヤハウェという神様はとんでもなく怖い神様だ。自分以外の神を信仰することを絶対に認めない。まさに嫉妬と束縛の神である。酒も飲むし恋もする、人間くさいギリシャ神話の神々などとは比べ物にならない。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教は、このヤハウェを信仰する宗教だったりする。喧嘩ばっかりしているこの3宗教が、共通の神を信仰しているということは意外であまり知られていない。
さて話を本題に戻そう。唯一神ヤハウェはアブラハムに対して、腐敗しきった前述の2つの街を滅ぼすことを告げる。アブラハムはそれを聞いて仰天した。なぜならソドムには、彼の甥であるロトが住んでいたからだ。
アブラハムはヤハウェにおそるおそる尋ねる。
「主よ。もしもソドムに正しい心を持つ人が50人いたとしても、あなたはソドムを滅ぼされるのですか?」
ヤハウェは正しい心を持つ人が50人いれば、その50人のために街を滅ぼすことを考え直すと答えた。
アブラハムはさらに尋ねた。
「ならば、正しい心を持つ人が45人しかいなかったら?」
ヤハウェはそれでもその45人のために街は滅ぼさないと答えた。
アブラハムは続けて40人、35人、30人ならどうかと数を減らしながら尋ねた。
参考資料にもあったが、この辺りはいかにも昔話って感じがする。書くのがめんどくさい。
それで結局ヤハウェは10人の正しい人がいれば街を滅ぼさないことを約束した。
その頃ソドムの街では、アブラハムの甥であるロトのもとへ旅人が二人訪れていた。
その旅人たちはソドムの街の家々を訪ねて、一晩泊めてくれるよう頼んで回ったがどこの家も受け入れてくれなかったらしい。
親切なロトは旅人たちを快く迎え入れたのだった。
その夜、ソドムの街の住人たちが集団でロトの家に押しかけてきた。彼らが要求するには、ロトの家に泊まっている旅人二人とセックスがしたいから二人を引き渡せという。なんて理由だ。確かにこの街は退廃してるなw
てか今さらそんなことを言うくらいなら最初から二人を泊めたらよかったのに、まったく訳の分からないやつらである。
ロトは自分の娘を与えるからどうか引き取って欲しいと懇願した。おいおい…それもどうかと思うぞ。
この時代では子供よりも客人を大事にすることが美徳とされたのだろう。現代の価値観では計れない。
しかしロトの家を取り囲んだ暴徒たちはそんな言葉には耳を貸さずに、旅人を出せと繰り返すばかり。
やがて入り口に立ちはだかるロトを押しのけて、暴徒たちが家の中に踏み込もうとしたその時、旅人二人が表に姿を見せた。
なんと二人の旅人の正体は、ヤハウェがソドムを滅ぼすために遣わした天使だった。
天使たちはロトに告げる。
「この街を滅ぼすので、あなたとあなたの家族は遠くに逃げなさい。逃げる途中、何があっても振り向いてはならない」と。
それを聞いたロトは大急ぎで妻や娘を連れて街から逃げ出した。
ロトたちが必死に逃げている最中、ソドムとゴモラに天から火と硫黄が降り注ぎ、二つの街を焼き尽くしたという。
ロト一家は、背後で街が破壊されている音に耳をふさいでただひたすら逃げた。
しかしロトの妻は背後の街の様子がどうしても気になり、天使の忠告に背いて後ろを振り返ってしまう。
すると妻は生きたまま、たちまち塩の柱になってしまった。なんだそりゃ。
残されたロトと娘たちは、妻が塩の柱になってしまったことにショックを受けつつも、決して後ろを振り返らずになんとか危機を脱出したらしい。
イスラエルの死海のほとりには、「ロトの妻」だとされる塩の柱が今も残っており、観光名所となっている。
参考資料
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やる夫で読む旧約聖書「ソドムとゴモラ」
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旧約聖書に登場するソドムとゴモラという2つの都市には、神を冒涜するような悪事がはびこっていたようだ。その悪事とはどんなものだったのか聖書には詳しく書かれていないが、おそらく性的な堕落であると推測されている。このソドムという街は、同性愛や獣姦を意味するソドミーという言葉の語源であるらしい。
話の発端はアブラハムという羊飼いが、唯一神ヤハウェのお告げを受けたことから始まる。
このヤハウェという神様はとんでもなく怖い神様だ。自分以外の神を信仰することを絶対に認めない。まさに嫉妬と束縛の神である。酒も飲むし恋もする、人間くさいギリシャ神話の神々などとは比べ物にならない。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教は、このヤハウェを信仰する宗教だったりする。喧嘩ばっかりしているこの3宗教が、共通の神を信仰しているということは意外であまり知られていない。
さて話を本題に戻そう。唯一神ヤハウェはアブラハムに対して、腐敗しきった前述の2つの街を滅ぼすことを告げる。アブラハムはそれを聞いて仰天した。なぜならソドムには、彼の甥であるロトが住んでいたからだ。
アブラハムはヤハウェにおそるおそる尋ねる。
「主よ。もしもソドムに正しい心を持つ人が50人いたとしても、あなたはソドムを滅ぼされるのですか?」
ヤハウェは正しい心を持つ人が50人いれば、その50人のために街を滅ぼすことを考え直すと答えた。
アブラハムはさらに尋ねた。
「ならば、正しい心を持つ人が45人しかいなかったら?」
ヤハウェはそれでもその45人のために街は滅ぼさないと答えた。
アブラハムは続けて40人、35人、30人ならどうかと数を減らしながら尋ねた。
参考資料にもあったが、この辺りはいかにも昔話って感じがする。書くのがめんどくさい。
それで結局ヤハウェは10人の正しい人がいれば街を滅ぼさないことを約束した。
その頃ソドムの街では、アブラハムの甥であるロトのもとへ旅人が二人訪れていた。
その旅人たちはソドムの街の家々を訪ねて、一晩泊めてくれるよう頼んで回ったがどこの家も受け入れてくれなかったらしい。
親切なロトは旅人たちを快く迎え入れたのだった。
その夜、ソドムの街の住人たちが集団でロトの家に押しかけてきた。彼らが要求するには、ロトの家に泊まっている旅人二人とセックスがしたいから二人を引き渡せという。なんて理由だ。確かにこの街は退廃してるなw
てか今さらそんなことを言うくらいなら最初から二人を泊めたらよかったのに、まったく訳の分からないやつらである。
ロトは自分の娘を与えるからどうか引き取って欲しいと懇願した。おいおい…それもどうかと思うぞ。
この時代では子供よりも客人を大事にすることが美徳とされたのだろう。現代の価値観では計れない。
しかしロトの家を取り囲んだ暴徒たちはそんな言葉には耳を貸さずに、旅人を出せと繰り返すばかり。
やがて入り口に立ちはだかるロトを押しのけて、暴徒たちが家の中に踏み込もうとしたその時、旅人二人が表に姿を見せた。
なんと二人の旅人の正体は、ヤハウェがソドムを滅ぼすために遣わした天使だった。
天使たちはロトに告げる。
「この街を滅ぼすので、あなたとあなたの家族は遠くに逃げなさい。逃げる途中、何があっても振り向いてはならない」と。
それを聞いたロトは大急ぎで妻や娘を連れて街から逃げ出した。
ロトたちが必死に逃げている最中、ソドムとゴモラに天から火と硫黄が降り注ぎ、二つの街を焼き尽くしたという。
ロト一家は、背後で街が破壊されている音に耳をふさいでただひたすら逃げた。
しかしロトの妻は背後の街の様子がどうしても気になり、天使の忠告に背いて後ろを振り返ってしまう。
すると妻は生きたまま、たちまち塩の柱になってしまった。なんだそりゃ。
残されたロトと娘たちは、妻が塩の柱になってしまったことにショックを受けつつも、決して後ろを振り返らずになんとか危機を脱出したらしい。
イスラエルの死海のほとりには、「ロトの妻」だとされる塩の柱が今も残っており、観光名所となっている。
参考資料
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やる夫で読む旧約聖書「ソドムとゴモラ」
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